とりあえずWikiで調べてみる。
水魚の交わり(すいぎょのまじわり)
これは水がなければ魚は生きていけない、必要不可欠な友の存在の例えで、三顧の礼で諸葛亮を迎えた劉備と、孔明の交わりを評して言われたもの。
『三国志演義』の中の有名なエピソードであるが、元々の出典は『蜀志』にある
…これだけ???r(・x・。)
一応全文持ってきたんですけどね。
というわけで、いろんなサイト様からお借りする。
水魚の交わり
(意味)君臣の仲の良いこと。
三顧の礼で 諸葛孔明(しょかつこうめい)をその幕僚に迎え入れた。
劉備 は、夜も昼も問わず、まさに寝食を共にして、天下三分の計を基本とする孔明の諸政策を聞き入りました。
義弟として長く側にあった関羽や張飛は若輩者(孔明27才。劉備47才)を師として敬う劉備の姿勢に不満で、劉備にも愚痴を言ったところ、
「私の側に孔明がいるのは、例えてみれば魚が水中にいるようなものだ
(孤(こ)の孔明有るは、猶(な)お魚の水有るがごとし)」
と答えたのが、水魚の交わりの由来だそうです。
「魚には水が必要なのと同じように、私にとって孔明は必要不可欠な存在なのだ。」
これを聞いた関羽と張飛はそれ以上は不満を口にしなくなったそうですが、そこは文句言うだろ。
私達は水にはなれないのか?って聞きたくなりません?
以降、この劉備と諸葛亮のように親密な間柄を「水魚の交わり」と称すようになったそうです。(私は納得がいかないんですけどね。)
ですが、劉備は、自身を魚に諸葛亮を水に喩えています。
たしかにエラ呼吸する魚にとっては水はなくてはならないものですが、水にとってみれば魚がいるかいないかは別にどうでも良い事。
要は、魚である劉備は孔明を必要としていまる。
けど、水と例えられた孔明からすると、わざわざ劉備につく必要は無かったって事らしいです。
拠点となる土地をもたない劉備は、戦略眼のある有能なブレーンが必要でした。
一方の諸葛亮は、それまで自適な生活を送っていました。
出世できるかは別として(ヲイwww)仕官をしようと思えば曹操でも孫権でも(つーか誰でも?)良かったわけですが、この人は敢えて弱小勢力の劉備に人生を賭けたのです。
現代では単に「親密な間柄」としての意味しか捉えませんが、実は水と魚は同等の関係にあるわけではないのです。
こっわ!裏話こっわ!Σ(゚口゚;
水魚の交わりじゃねーじゃん!!((((((ノ゚⊿゚)ノヌオォォォ
ものの見方を変えるっていう事は怖いっすねぇ…
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