*都市と地方の違い
18世紀から現在にいたる工業化の時代全体を通して、
生活環境が圧倒的に都市的になってきたということです。
人がある程度集まったところが都市ではあるが、中世都市は法的な定義が沢山あり、難しい。
著者は、都市と田舎を「匿名性」によって判断している。
では、匿名性の高い年というものはどこから出てくるのか。
*なぜロンドンに人がいっぱい集まってくるのか?
16世紀をふくむ金瀬イギリスの家族のあり方にある。
イギリス人の世界の基本は教区(parish)中心に成立していました。
教区は人々の生活の核になっています。
日本で言う戸籍のようなものが復元出来る家族復元方の基本的な考え方。
1点目は、とても早い時期からイギリスは単婚核家族であるということ。
17世紀にはあきらかに単婚核家族の社会であった。
2点目は晩婚の社会であったこと。
当時の庶民は20代の後半くらいに結婚していた。
世界全体を見渡しても、工業化以前の社会でこれほど結婚の遅い社会はなく、
他の地域ではたいてい10台の中ごろかもっと早い時点で結婚します。
最も特徴的3三点目はだいたい十四歳前後から短くても七年、長ければ10年以上、どこかよその家に奉公に行く「ライフサークル・サーヴァント」
自分の生まれた家と同等か、多くは社会的にやや攘夷の家庭に行く。
21歳で伝統的な成人の年。
住み込みで独身であることが大前提だから、結婚はしない。
さまざまなかたちで財産や権利を獲得していく
*政治算術
この当時の社会状況をあらわしている統計的な学問
日本などは10歳代で結婚。
でも生活していけないから、親元に同居するが、イギリスはそうではなかった。
*救貧法
よその子となって、結婚して独立して、子供が出来、その子もまた14歳前後になったらよそのうちに行く。
こうして高齢者夫婦になるか、むしろ多くの場合はどちらかがかけてしまい、独居老人になる。
イギリスの近世社会には独特の救貧問題が発生。
十七世紀のはじめにエリザベス救貧法とよばれる法律が出される。
家族の構造に非常に関係があった
年老いた夫婦では、かなり貧しくても人を雇うしかなく、それすらも出来なくなると、誰が面倒を見るかが問題になる。
日本の伝統社会だと、子供が見るべきだと考えられ、実際うまくいっていたのですが、
イギリス社会だと、高齢者は社会的に面倒をみなければならない、それは教区の責任であるということになっていきました。
だから救貧が深刻な問題になったのです。
近世イギリスの家族やライフサイクルは、単婚核家族で晩婚の社会、介護の問題が深刻化し、行方不明の高齢者問題、離婚と再婚で生じる、母子家庭の問題や継父による虐待など、そこから発生した問題もとても似ている。
*彼らは家を出てどこへ行ったのでしょうか
若者の地理的な流動性が非常に高い社会
教区の人は顔見知りでも、教区を出たら知らない。
*17~18世紀にかけて活躍したダニエルデフォー
イギリス文学私情、小説というジャンルが出てくる直前。
「ロビンソン・クルーソー」を含め、4つくらいの物語を書いている。
その物語に登場する人物も、中流あるいはもっと加増の人間が、上流、つまりジェントルマンとレディの階級になりたいという願望を強く表明しているということです。
膨大な不動産を所有している。その貸し賃で、上流の生活をする人たちのこと。具体的には大地主。
ジェントルマン階級は全体人口の5%程度とみなされています。
肉体的な意味での労働や人に雇われるような勤務はしないことが条件と考えられた。
自らの資産からの所得で人を雇い、政治活動とチャリティなどの社会奉仕と趣味文化活動を子事としてクラス「有閑階級」である、独特の教養と生活様式を維持していくことが求められました。
逆に自ら労働をして報酬を得れば、地位を失うとされていた。ヨーロッパに共通の慣習。
次男三男の処遇のために、弁護士、内科医、将校などジェントルマン的職業が社会的に事実城承認され、帝国の拡大とともに豪商も擬似的なジェントルマンとみなされるようになった。
*ファッション
都会の生活文化のひとつの特徴は外見に非常に気を使うということです。
別の土地から来たひとを見かけでしか判断できないのです。
イギリスではロンドンで圧倒的に早く成立していた。
ファッションの世界が生まれる。
美容のためとして、理髪店、といっても当時の理髪師というのは外科医をかねた商売でした。
理髪店は都会のような人の集まるところでしかありません。
美容、理容、健康の仕事人がいることが大都会の特徴になり、生活文化のあらわれとなっていきます。
外科医兼理髪店のようなところが増えていくと、日本の床屋と同じで、男性の情報センターとなっていた。
「差異化」の欲望が出てくる
ロンドンがイギリスにおける流行の発信地になっていく
自分の本来の身分を越えたような服装をしてはいけないという、ぜいたく禁止法が出た。
身分制秩序の乱れと考えられ、それを止めるために法律を出した。
ところが実効性はほとんどありませんでした。
*不況に勝てなかった「ぜいたく禁止法」
経済的に有害なのではないかと、議会制定の法律として出されなくなり、国王や国王周辺は規定を発布するようになる。
靴下あみなど新しい製造業がはやるが、法律によって使えなくなります。
非常にはやるのですが、特定の階層に限定されると業者は打撃を受けます。
ぜいたく禁止法は中世から近代にうつっていく近世という時代に中世の身分制秩序がくずれていくのを止めるために世界中の国でだされた法。
ロンドンのような大都市だと、取り締まるシステムがないので、道徳的によくないが、経済効果は充分だった。
イギリスはどこよりも早くぜいたく禁止法を全廃しました。
それにより、王室が流行を取り入れると貴族へ、貴族が取り入れるとジェントリが、と国民的マーケットが成立。
なぜそういったものが、なぜつくられたのか、何故売れたのか、なぜそれを消費したのか、
需要が経済を引っ張っていくor生産が効率的になっていくので、色々なものを消費できるようになっていく
都市の住民の社会的地位が上がっていく。専門職の人たちがロンドンに多く集まる。社交という問題。日本で言う江戸時代の参勤交代。
散歩、つまり歩くこと時代を目的として歩く、都市の生活文化。
社交庭園、見たり、見られたりする場所。
消費の場所で、結婚相手を探す場所でもあり、土地の売買の相談をする場所でもある。
地方の所得をロンドンで消費するという構造
ロンドンの流行を田舎へもって買える
ジェントルマン階級の人間だけではなく、それについてくるお手伝いさんや御者も流行を持ち帰った
あらゆうる階層の人が少しずつ来る。
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